私が開院した理由

サッカーワールドカップ開幕の日に

2006年6月9日、ドイツワールドカップの開幕と同じ日に
整体院プラスワン。はオープンしました。

僕が整体師としてのキャリアをスタートしてから9年が経ち
初めて築いた、自分の理想を実践する整体院です。

整体師になる以前、僕は雑誌に掲載する写真を撮影する
フリーのカメラマンとして活動してました。

カメラマンの仕事は重たいカメラバッグを持っての移動が付きものです。

また、記者会見等の取材現場では無理な姿勢での撮影を
余儀なくされることも珍しくありません。

腰痛に悩まされるのは必然だったかもしてません。

 

整体術との出会い

腰の痛みをごまかしながら仕事を続けるうちに症状が悪化。

毎朝の起床時には激しい痛みのために起き上がることができず、
歩けるようになるまで30分以上もかかるようになってしまいました。

1994年頃の事です。

「このままでは歩けなくなってしまうかもしれない…」

そんな不安が頭をよぎってしまうほどの痛みでした。

痛みに悩む僕を日々の不安から救い出してくれたのが、
偶然に立ち寄った整骨院で受けた整体術でした。

牽引したり低周波の電気を当てたりはそれまでにも色んな治療院で
経験してましたが整体の治療を受けるのは初めての事でした。

施術を受けた直後から劇的に良くなったわけではありませんが、
治療を受けた翌朝の起床時に痛みがなかった時は感動しました。

「整体の技術を身に付けて痛みを抱えて困ってる人の役に立ちたい」

整体の道を志すのに迷いや躊躇は有りませんでした。

なぜなら僕自身が整体を受けたことによって
痛みから解放されたのですから。

ただ…

当時の僕は治療や療術の世界は全くの素人です。

一番最初に修得した技術は、当時ブームになっていた足底療法(足つぼ)でした。
次いで整体術、アロマ、キネシオテーピング療法と身に付けて行きました。

いろいろな方の様々な痛みに向き合いたいとの思いからです。

 

時代の移り変わりとともに

写真の世界がフィルムからデジタルへと変わっていったように
僕の仕事も自然な形でカメラマンから整体師へと変わっていきました。

整体師としてのキャリアをスタートした僕が東中野で
整体をするようになったのは2002年の5月の事です。

当時、駅前に有った整体院で働くことになりました。
この整体院は別の事業を展開する法人がオーナーの整体院でした。

院の運営は僕に任せていただけましたが、どうしても
オーナーサイドの意向も反映させていかなければなりません。

はじめはほんの些細な違いでしたが、時間の経過と共にオーナーの意向と
僕がイメージする理想の整体院との大きくなってしまいました。

そうこうするうちに整体院事業からの撤退の考えが伝えられ…。

 

独立開業を決断

新しい職場を探すか再度、転職するか
苦悩の日々が数ヶ月続きました。

色々と考えた結果、

僕の決断は独立して自分の整体院を開院する、

でした。

そして、様々な縁とタイミングで現在の場所に出会い、
開院にこぎつけました。

「整体の技術を身に付けて痛みを抱えて困ってる人を救いたい」
という整体師を志した時の想いには少しのブレもありません。

また、整体術という技術には現在完了はあっても
完成型ないというのが僕の持論です。

より一層の技術の向上を目指し皆様の痛みと
真摯に向き合って行きたいと思います。

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